1.映画情報
ジャンル:ドラマ
鑑賞履歴:2021/6/14(U-NEXT)
公式サイト:ビターズ・エンド公式サイト
wikipedia:wiki
監督:橋口亮輔
制作年:2008年
制作国:日本
上映時間:140分
配給:ビターズ・エンド
メインキャスト:木村多江 リリー・フランキー 倍賞美津子 寺島進 安藤玉恵 柄本明 八嶋智人 寺田農
スタッフ:原作・脚本・編集(橋口亮輔) 音楽(Akeboshi)
原作:
受賞歴:第32回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
予告動画:
2.あらすじ
公式サイトをご覧ください。
3.感想
※※※ 以下、ネタバレありです! ※※※
※感想は最初に長い物(7,000文字程度)を書いて、それを圧縮したのがこちらになります。
長い物も『6.感想(長い)』に上げていますので、こちらを読んで興味を持って頂けたら、目を通して頂けると嬉しいです。
ぐるりといろんな物を見て、ぐるりと心を一回転させて、ぐるりと二人の距離も変化して、そんな10年をぐるりと振り返った映画です。
前を向いたり、後ろを向いたり、上を向いたり、下を向いたり、横を向いたり、大きな感情の変化と気持ちの向かい先が変わっていく中で最後に夫婦が前を向いていることが心地よい映画でした。
ラストの間近で出来上がった天井画を見上げて笑い合う夫婦。
つがいのように二人でいることが当たり前の存在になった安心感があり、これまでの絶望を見ていただけに滲み出る幸福感を感慨深く感じるシーンでした。
と同時に、このシーンを描くための映画だったのかな?とも思いました。
「人の心の中は判らない」でも、判らないからそれでも構わないと、言葉はなくても素のままで居心地の良さを感じられる二人になる。
そんな当たり前の夫婦の幸せを伝えてくれる、そんな純粋さをしみじみと感じさせてくれる映画だったように思います。
「人の心の中は判らない」と言って、夫が待ち続ける姿勢を受け入れられるか?というのは、この映画の好き嫌いにも影響する部分かと思います。
自分は、ひたすら待つ夫に、夫の生き方故の強さを感じました。
もし夫が妻と同じ気持ちを持とうとして、感情の起伏を同調してしまったら?長く先の見えない療養の中で上手く行かなくなる度に苛立ちを感じたら?
きっと妻にとって夫は重荷になり、その先に回復があったとしても夫に対しての劣等感が生まれるように思います。
夫が求めていたのは昔の通りのまっすぐな心で妻が戻ってくることで、帰ってくる場所であり続ける為に、変わらない自分であり続ける事。逃げ出したい思いを伝えずにそれを続けていたように思いました。
それは、何も言わずに憎まれ続けていてくれた父親とも繋がるように思いました。
何も話さないという事は夫が抱えている辛さも背負わされないという事で、そのことにどれだけ守られていたか。
夫が「人の心の中は判らない。」と伝えた意味が、夫自身の苦悩にも妻は気付けていなかったでしょ?と、改めてここで問いかけているように感じました。
楽しいシーンも、重く深く自分を抉るようなシーンも、軽やかに心を取り戻していくシーンも感情豊かに描かれる映画でした。
夫の後押しもあって天井絵の制作に打ち込む妻の姿を描いたシーンは特に秀逸に感じました。
雪の重ね撮りの冬から始まる映像は、穏やかに高揚感のある音楽もあって、時間と心が動き出す流れがテンポよく見る側にも安寧を感じさせる心地さでした。
心無い裁判の数々、夫婦の何気ない会話、書き続けられ溜まっていく絵、そして最後に妻の寝顔を描く夫の姿で終わる事が、変わらない日々の中で穏やかさを取り戻していく夫婦の変化を巧みに表現していたように思います。
思えば夏のシーンが多い映画だったように思います。
夫婦に付き纏う重苦しい感情を夏場の汗や体温みたいなものや、熱っぽい長回しや接写と一緒にして映画の中に入れたかったのかな?と思いました。
でも、この流れるような映像の中では冬から始まる乾燥した澄やかさと共に、妻の暑苦しさの抜けた軽やかな気持ちを描いていたように感じ、そのことがより鬱屈からの解放を感じさせるものでした。
ラスト、どれだけ夫婦が心を回復させても、変わらずに狂気的な事件は続き、痛ましい憎しみがぶつけられていく日々。
それを淡々と伝えることに意味を見出した夫の心境の変化で静かに締める姿が心地良く、この先も続く二人の生活が穏やかである事を感じさせるものでした。
4.評価
個人的な好き度合い:★★★ (3/3)
何度でも繰り返し観たい映画です。
世間の評価は以下のような感じです。
面白いという方の意見:
・苦難を乗り越えて夫婦になる二人に憧れる。
・カナオが成長していくことも感じられる。
・小さな場面の繰り返しなのにそのシーンの適切さが素晴らしい。
・現実の犯罪を準えた裁判を盛り込むことで、時代感の反映やカナオの気持ちの投射を行っているのが素晴らしい。
・リリー・フランキーと木村多江の演技が素晴らしい。
・江口のりこ、新井浩文等、脇の存在感も強い。
・エンディングの曲が良い。
・エンドロールの最後で二人だけの結婚式の写真が出てくるのが泣ける。
面白くないという方の意見:
・どこまでも向き合わない夫が理解できない。
・下世話な話が多い。
・とんかつ屋のシーンが気持ち悪い。
・精神的に滅入る。
世間の評価を見ての印象:
あまり批判的な意見は多くなかったのですが、笑いに関しては全く受け付けない人が多かったように思います。
下ネタやとんかつ屋のシーン等。
僕自身も少し合わないな。とこの辺りは正直感じていました。
オープニングの浮気判断の話など、男だったらこれ言っちゃだめだよ。と、正直思う話なんですが、後々、監督さんがゲイを公言されているという事を知って少し納得しました。
多くは書きませんが、ちょっと独特の感性で笑いを作る方だとは思います。
面白いという意見では、一つ一つのシーンの重さが強い。という意見が納得しました。
僕も見ながら、映画の長さの割にシーンが異常に少ないとは思っていました。
数えてませんが30~40位のシーン数を積み上げるだけで映画が出来上がっているような印象です。
長回しという効果もかなりありそうですし、その分、天井画を書いていくシーンのテンポの良さも際立っていたように思います。
全体的にはラストの心地よさが一番印象に残るという意見や、役者の演技力や音楽への評価が高かったです。
amazon prime videoで観る。
5.お勧めしたい人
こんな方にはお勧めの映画かも知れません。
・社会問題に切り込んだ映画を観たい人。
・夫婦のつながりを感じたい人。
・家族のつながりを感じたい人。
・役者の演技力を感じたい人
・ダメ男に惹かれる女性の人。
・精神的な病を扱った映画を観たい人。
・絵画が好きな人。
amazonでBlu-ray・DVDを購入する。
6.感想(長い)
ぐるりといろんな物を見て、ぐるりと心を一回転させて、ぐるりと二人の距離も変化して、そんな10年をぐるりと振り返った映画です。
前を向いたり、後ろを向いたり、上を向いたり、下を向いたり、横を向いたり、大きな感情の変化と気持ちの向かい先が変わっていく中で最後に夫婦が前を向いていることが心地よい映画でした。
色々あった10年を放り込んだ映画なので、色々な問題も放り込まれています。
失った娘の問題、夫婦の問題、性生活の問題、育ってきた家族の問題、90年代に繰り返された残酷な事件の問題、鬱になった妻を見守り続ける夫の心の問題、通わなくなっていく二人の気持ちの問題。
10年と言うのは長いです。
もし、映画の冒頭の女の子が生まれていたら、その子は10歳になっていたはず。
彼ら夫婦の人生も子供を中心に変化していくはずだったのに、そうはならなかった。
代わりに過ごした10年は、妻にとっては精神のどん底を彷徨い、そこから抜け出すきっかけを失い、そして生きていく目的を得て回復していく10年でした。
夫にとっては、落ち込んでいく妻との接し方を失い、逃げ出したくなる生活の中で待ち続けて自身の信条である軽さを失い、妻の回復と共に本来の自分を取り戻していく10年でした。
10年は本当に長いです。
辛い期間が長い程、本当に長いです。
でも、一度落ち込んで、そこから新しい自分を作り上げて生きていくには10年かかるのかな?と、そんな長い10年を丁寧に描いた映画のように思いました。
自分自身の話になりますが、20代の頃に家族がアルコール依存症とうつ病を併発し、5年程を一緒に生活していました。
この頃はきつかったです。
心の通じ合わない相手と毎日話をし、毎日裏切られ、刃物まで振り回され、こちらも荒むし、心があらぬ方向を向きながら、結果、やればやるだけ状況も悪化していく。
叫びばれながら病院に連れて行ったり、自殺をすんでのところで止めたり、終いには自分まで暴力を振るってしまうし。と、思い出すのもうんざりするような時期でした。
それから数年経って、その家族がアルコールに依存し始めてから10年くらい。
なんとなく解決して今ではその家族も高校生の娘が居て。と。
ただ、自分に関して言えば10年でその悲惨な生活が終わってくれたのは有難かったですし、自分でなければもっと早く終わっていたとも思いますし、もっと悪ければ今でも続いていたんだろう。とも思います。
何故この話を持ち出したか?と言うと、うちの場合は一応の解決には至ったとは言え、その家族は以前と同じ人間とは思えないくらい人格が変わってしまいました。
お互いに嫌な思いを沢山経験して、自分も変わってしまった、というよりも身に沁みついてしまった事は多いように思います。
でも、この映画の妻に関しては、元の状態よりももっと落ち着いて、まっすぐと進んでいるように感じますし、何より二人にとってこの10年がより関係が深まる期間であったように感じます。
それは、夫の接し方、人柄がよかったんだろうな。と、そんなことを感じて持ち出した話でした。
夫を主体に、特に妻と心が通わなくなる時期は少し自分を抉るようなきつさも感じながら観ていました。
出だしから、妻との性生活というのが週に3回、カレンダーに×印を付けられるという、男からするとちょっと辛い生活。
これで問題のない旦那さんであればこの辛さは判らないのでしょうし、そういった方は×印がなくても毎晩するんでしょうけれど、『常に新鮮さがないと。』と感じるタイプの男からするとこれは辛いです。
多くは語りませんが、一定数の男は「毎晩、相手が違うなら毎晩するよ。」という表に出せない本音を持っていて、この夫に関しては間違いなくそっち側の人。
それを多くの女性の方は絶望的な気持ちで聞くのでしょうが、「そんなもんです。」としか男には言えないです。
ただ、判ってほしいのは、そういっただらしなさが妻への愛情の薄さに繋がるか?と言われれば、それは全く別の次元の話という事。
それを何故?と聞かれても、やっぱり「そんなもんです。」としか男には言えないのですが。。。
娘を亡くした後、カレンダーから×印が消えます。
妻の方は絶望と自身を責める行為が増えていき、それに加え、夫が自分に本当の気持ちを伝えてくれていない。との思いを強めていきます。
兄の事業も芳しくなく、怪しい宗教に傾倒する母や兄嫁との関係も一層孤独感を強め、誰にも相談の出来ない日々。
90年代というバブル崩壊後の社会の失意感という物も暗さを助長する意味があったかと思います。
夫の方でも仕事で直視せざるを得ない犯罪者達の本音、振る舞い、そして被害者達の憎しみ、やりきれなさ。
自身の仕事への苛立ちから職場での衝突もあり、そうした思いを妻にも伝えられない日々。
夫は妻に多くを語らず、ひたすら回復を待っているように感じました。
父親を自殺で亡くして、という生い立ちから学んだ人生観があったのかもしれません。
それでも、療養中の安田の元へ見舞に行って話をしていたように、逃げ出したい。思いも強かったんだと思います。
それでも逃げなかったのは、「忘れたくないことがあるから。」。
この安田との会話のシーンがこの映画で一番好きなシーンでした。
忘れたくないのは、妻との思い出なのか、亡くなってしまった娘との記憶なのか、それとも父親の自殺や生い立ちを乗り越えて自分を作り上げてきた自己なのか。
でも、そのいずれであっても、放り出してしまうという行為が自身にとって最も許せない行為だったんだと思います。
きっと自分の人生で得てきた物を全て投げ捨てて、自分を構成する記憶を全て汚してしまうような行為だったのではないかと。
多分、夫の待ち続けるという姿勢を受け入れられるか?というのは、この映画の好き嫌いにも影響する部分ではないかと思います。
自分は、ひたすら待つということが出来る夫に、夫の生き方故の強さを感じました。
また自分の過去の経験から、そうすることがどれだけ難しく、苦しいことかも理解して観ていました。
もし夫が妻と同じ気持ちを持とうとして、感情の起伏を同調してしまったら?長く先の見えない療養の中で上手く行かなくなる度に苛立ちを感じたら。
きっと妻にとって夫は重荷になり、その先に回復があったとしても夫に対しての劣等感が生まれるのではないかと思います。
それは夫にとっても妻にとっても望む未来ではないですし、何より夫が求めていたのは昔の通りのまっすぐな妻として戻ってくることだったのだと思います。
だからこそ、逃げずに待つということを続け、妻にとって変わらない自分でい続ける事を選んだのではないかと。
帰ってくる場所であり続ける為に、変わらない自分であり続ける事。自分にとってはそれを続ける精神的な負担の方が、同じ気持ちで療養に立ち会う事よりもずっときついことのように思います。
ただ結果として、妻から考えていることが判らないと言われ、妻は激しく取り乱してしまいます。
妻の方はクモへの極端な執着、物への八つ当たり、相手を選ばない攻撃、泣き叫ぶ暴力。
夫も咄嗟に暴力を返しながら、きついなと思いながら観ていました。
ただ邪推かも知れませんが、夫の方は、最初に父親の自殺から「人の心の中は判らない。」と語って以降、本当の事は何も語っていないように感じました。
「どうして一緒にいるの?」と問われて「好きだから」と答えたのも、この逃げ出したい時期にまっすぐにそんな気持ちを答えられるだろうか?とも思いますし、
キスをしようとして止めたのも、キスをして愛情を伝えるほど、確固たる思いが自分の中になく、話題を反らして止めたような。
大事という気持ちは十分に残っているけれど、好きという気持ちではないんだろうな。と。
そういう思いもあって、このシーンは言葉と気持ちがバラバラで、見ていて痛々しかったです。
本当はこのやり取りがあって、妻は快方に向かうと思いたいんですが、どうしても自分にはそうは思えず、このシーンで描いたことを監督に聞くことが出来れば。というのが本音です。
このシーン以降、時間も経過し、妻は落ち着きを取り戻していきます。
尼の僧侶の言われる「死を思うっていうのは凄い経験、そんな人の絵を見てみたい。」という言葉は癒えかけた妻の心に染み入る言葉だったように思います。
元ネタになった言葉があるんでしょうか?
誰がこんな言葉を吐けるのだろう?凄い言葉だと思いました。
これも監督に聞けることが出来るなら聞いてみたい言葉です。
そして、夫の後押しもあって天井絵の制作に打ち込む妻の姿。
カレンダーにも×印が戻ります。
雪の重ね撮りの冬から始まるここからの映像は、穏やかに高揚感のある音楽もあって、時間と心が動き出す流れがテンポよく見る側にも安寧を感じさせる心地よい物でした。
心無い裁判の数々、夫婦の何気ない会話、書き続けられ溜まっていく絵、そして最後に妻の寝顔を描く夫の姿で終わる事が、変わらない日々の中で穏やかさを取り戻していく夫婦の変化を巧みに表現していたように思います。
一つこの中で気になったのが、夏のシーンが多い映画だったように思います。
いつもリリーフランキーが変なシャツを着ているイメージでしたし。
監督としては、夫婦に付き纏う重苦しい感情を夏場の汗や体温みたいなものや熱っぽい長回しや接写と一緒にして映画の中に入れたかったのかな?と思いました。
でも、この流れるような映像の中では冬から始まる乾燥した澄やかさと共に、妻の暑苦しさの抜けた軽やかな気持ちを描いていたように感じ、そのことがより鬱屈からの解放を感じさせるものでした。
また、性生活が戻り、改めて夫婦間の心が同じ前を向いていける関係に戻ったことにも意味があると思います。
性生活に関しては、妻が落ち込んでいる間も中絶をしていますし、同意書に夫もサインをしているわけなので、妻の落ち込んだ当初はあったんでしょうがそれ以降はなかったと思います。
安田とのやり取りのシーンでも「大事に出来るものがある時は大事にしとけよ。」と言いながら股間を触るシーンもあり、愛情=セックスみたいな部分もあって、この映画と性生活というのはちょっと切り離せない所です。
ただ、性生活がなかったから妻が落ち込んでいき、性生活が戻ったから妻が回復したという短絡的な話ではないと思っています。
先に、夫が新鮮さをセックスに求めるという話もしましたが、夫は気持ちの乗らないセックスは苦痛な方だと思うので、妻との性生活が戻るというのは妻の回復だけではなく、夫の気持ちの回復も描いているのかな?と思いました。
おまけに週に2回、毎回、相手が妻でも大丈夫な程、妻との新しい関係に新鮮さを持って望めているんだな。と。
この辺りは的外れかもしれませんが、荒れた妻にキスも出来なかった夫というのはこの辺りの複雑な思いもあったように感じていたので。
物語はその後も続き、妻の父親に会ったことを報告するシーンで、かつての崩壊した妻の家庭が母の非であったことを知るシーンも印象深かったです。
子供心に家族全員で父親を悪と思いこむことで家族の均衡を保っていたんだな。と、そのいびつな暗黙のルールが痛々しく感じるものでした。
母親が家を出て行った亭主に対して「大きく振舞っていたけれど気が小さくてまっすぐで」という言葉には、そんな亭主だからこそ何も反論せずに憎まれ役を守り抜いてくれた。という感謝の言葉が続いているように思いました。
亭主がそうしてくれなければ、母親として家族を纏め上げることが出来なかったという事実があったのだと思います。
そして、妻からすれば、何も言わずに憎まれ続けていてくれた父親、何も言わずに自分を見守り続けてくれた夫。
その二人の静かな強さが繋がり、言葉よりも気持ちで接してくれた二人に感謝を感じたように思いました。
妻は夫の事を何も話してくれないと思っていたけれど、何も話さないという事は夫が抱えている辛さも背負わされないという事で、そのことにどれだけ守られていたか。
夫が「人の心の中は判らない。」と伝えた意味が、夫自身の苦悩にも妻は気付けていなかったでしょ?と、改めてここで問いかけているように感じました。
母親はそんな姿に亭主と同じ姿を夫に感じて、娘の夫として改めて迎え入れる感謝を伝えたように思います。
出来上がった天井画を見上げて笑い合う夫婦。
つがいのように二人でいることが当たり前の存在になった安心感があり、これまでの絶望を見ていただけに滲み出る幸福感に改めて感慨深く感じるシーンでした。
と同時に、このシーンを描くための映画だったのかな?とも思いました。
他人でしかない男女が夫婦になり、徐々に最初の新鮮さを維持できなくなっていく中で、苦しみを乗り越え、楽しさを共有していく。
お互いの価値観を擦り合わせ、どうしようもない窮屈な所はそぎ落として合わし付けてを繰り返していく、
「人の心の中は判らない」でも、判らないからそれでも構わないと、言葉はなくても素のままで居心地の良さを感じられる二人になる。
そんな当たり前の夫婦の幸せをこの映画で描きたかったのかな?と、改めてこの映画の純粋さにも感じ入る部分のあるシーンでした。
そしてラスト、どれだけ夫婦が心を回復させても、変わらずに狂気的な事件は続き、痛ましい憎しみがぶつけられていく日々。
それを淡々と伝えることに意味を見出した夫の心境の変化で静かに締める姿が心地良く、この先も続く二人の生活が穏やかである事を感じさせるものでした。
長くなりましたが、重いテーマを多く扱いながら、全てを回収して、なおかつ軸となる夫婦の気持ちはすっきりと纏めた作品かと思います。
本当にそれぞれのシーンに思いがあり過ぎて、シーンを追う毎にこんがらがる気持ちと整理されていく気持ちが交互にやってくる思いでした。
そして、きつい言葉の描写でも、夫婦間の言葉には根本に相手を思いやる気持ちがあるので、それを不快と感じるのではなく、痛さや苦しさと共に共感を感じました。
いったい監督はどれほどの思いを経験し、どれほど話を練ってこの映画を作ったのか、底知れないです。
役者としても、リリー・フランキーの素の自分のような演技も素晴らしく、軽さ、適当さという役に求められているキャラクターともよく合っていたと思います。
この映画の前に「万引き家族」を観ていたこともあって、2本続けてのリリー・フランキーの主演作品でした。
2本続けてこの人の生尻を見せられる展開はともかく、「万引き家族」で見せた運動神経の悪そうななダバダバ走りがこの作品でも見え、地の走りという事に驚きました。
木村多江も凄かったです。
前半の明るく感情が表に出る妻、中盤の落ち込み自身を抉る内省的な妻、終盤の辛さが削げ落ちしっかりと前を向く妻、3つの妻を物凄い熱量で演じていたように思います。
以前、本人がテレビの中で、役にのめり込み過ぎて。。。という話をしていたのを聞いていたので、この映画の事か?と思い、観ていました。
感情の振れ幅が大きい映画だけに、順撮りでしかこれは撮れないんじゃないのかな?と思いますが、それも監督に聞いてみたい所です。
最後に、本当に長い感想になってしまいました。
どかんと7,000字を超えるくらい。
このままでは誰も読んでくれないと思うので、公け様の感想にこれから1,500字程度に絞り込みます。
ただ、本当に3日間、映画も4回見直して、何度も感想を書き直して、どっかりとこの映画の世界に浸かってしまい、終いには自分の頭の中で勝手に話が作り上げられていき、結果、全然別の映画になってしまったんじゃ?という心配もあります。
そもそも感想も最初と最後で辻褄が合わなくなっているような気もします。。。
それでも、もしここまで読んで頂けた方がいましたら、心から感謝の気持ちしかありません。
ありがとうございました!!
なんか映画と全然違う話を語っていると思ったら、それが正解です。
自分もそう思いますから。
実は書けと言われればもっと書けます。
夫の生い立ちにも感じ入る部分が多く、自分の過去もリンクして鷲掴みでぐちゃぐちゃの感情を引っ張り出されてしまいました。
そうすると更に別な話に変化していきそうですし、私と妻の18年間も語り始めそうな勢いで、結果、映画の感想なのか自伝なのか判らなくなってしまいそうです。
でも本気出せば本当に、20,000字くらい書けます。本当に。
それだけ書きたい思いが多いのも、この映画が本当に色々で、複雑なテーマを持ちつつ、ただ、そのどれもが夫婦二人の心にきちんと根付いて変化を与えてくれているからだと思います。
改めて、凄く練り込まれた脚本に驚くとともに、ここまで自分の中の色々な感情を引っ張り出してくれた映画に感謝しかないです。
いい映画でした!
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